« お湯で融ける金属 | トップページ | 3Dプリンタ その2 種類と特徴 »

小倉百人一首は和歌のLCAだった!?【第4回】

| 投稿者: 機械工学科

 こんにちは。サステイナブルマネジメント研究室の芝池です。

 前回、小倉百人一首は「藤原氏」を対象としたLCAだ!などという大胆な仮説を発表してしまったので、今回よりその検証に取り組んでみたいと思います。
 なお、念のために申し上げますが、撰者とされる藤原定家が亡くなった後の「藤原氏」の動勢については本シリーズの検討対象に含まれておりませんので、あしからず。

 まずは、前回の報告でA~Gに分けた各ブロックに収録されている和歌の数をグラフにしてみたのですが・・・、ありゃりゃ、小倉百人一首(赤)、百人秀歌(青)とも収められている歌の数にはずいぶん4の倍数が多いように思いませんか?

04

 ちなみに、百人秀歌の100番目の定家の歌は後から追加されたという説があるのですが、私はこの説に賛成です。(だって、親戚の家に飾られるのだったら自分の歌はとりあえず遠慮しますよね、フツー。それで、「やっぱり定家さんの歌がないとねぇ・・」とか言われて仕方なく付け足したのでは?と勝手に想像しています。)
でも、もし本当にそうなら、百人秀歌のGブロックはもともと12首だったわけで、つまり百人秀歌はすべてのブロックが4の倍数の歌で構成されていたことになります。
私は、この符合は決して偶然ではなく、宇都宮蓮生氏の中院山荘に和歌色紙形を貼った時の効果を想定し、定家卿が、歌の内容や人間関係で縁の深い4首(人)ずつ順番にユニットを組みながら、丹念に各ブロックを作り上げていったのだと考えています。

 ではなぜ4首(人)ずつかというと、和歌色紙形は1枚の障子(今のふすま)に2枚ずつ貼るのが通例なのだそうで、ならば、障子は2枚一組になっている場合が多いから、蓮生氏の山荘に貼る際も4首(人)一組にしておくとちょうど良かったわけですね。
 さらに、各ブロックの色紙形が部屋ごとにまとめて飾ってあれば、時雨殿*もびっくり、まさに和歌の博物館じゃありませんか!(だとすると、Aブロックの4人はさしずめエントランスホールでのお出迎え役といったところでしょうか。)
 百人秀歌というのは、600年間の和歌の歴史(実は「藤原氏」のライフサイクル?)をビジュアル化した「宇都宮蓮生和歌博物館」の展示品として製作されたのかも知れません。

 一方、小倉百人一首では100首全体でのまとまりを重視し、言葉、表現方法、歌枕(地名)、修辞等のバランスから歌や歌人を少し取り替え、そして、ブロック内の配列を概ね年代順に整えて別の歌集に仕立てた(あるいはその逆の順で双子の歌集を作った)のだろうと推定しています。
 ただし、今回の「LCA仮説」からは少し離れてしまうので、残念ですがこの辺りの説明はまた別の機会にさせていただきたいと思います。
と、余計なことばかり話している間に字数オーバーとなってしまいました。次回はちゃんと小倉百人一首の「LCA仮説」に関する検証を行います。
*時雨殿:京都の嵐山にある小倉百人一首の殿堂 http://www.shigureden.or.jp/

« お湯で融ける金属 | トップページ | 3Dプリンタ その2 種類と特徴 »

サステイナブル」カテゴリの記事