新説(珍説?):小倉百人一首は和歌のLCAだった!?【第3回】
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こんにちは。またまた登場しました、サステイナブルマネジメント研究室の芝池です。
前回は小倉百人一首とそっくりな『百人秀歌』について紹介しましたが、今回はLCA(ライフサイクルアセスメント)との関わりについて少し考察を進めたいと思います。
藤原定家の日記『明月記』の1235年5月27日には、嫡男為家の舅(しゅうと)である宇都宮頼綱(蓮生入道)に、京都嵯峨にある彼の別荘『中院山荘』の障子(今のふすま)に貼る色紙形(和歌を書いた色紙)を清書して贈った、と書いてあります。
宇都宮頼綱は鎌倉方の有力な御家人ですが、当時は京都で隠遁生活を送っており、当代随一の歌人藤原定家に一揃いの色紙形(枚数不明)を頼んでいたらしいのです。
おそらくこの色紙形が例の百人秀歌であろうと考えられているのですが、このそっくり歌集は歌人も歌も小倉百人一首とほとんど同じなのに、歌の配列(順番)については全く違いましたよね。
そこで実際に小倉百人一首と比べてみたところ、百人秀歌の歌の順番は下表のA~Gで示した7つのブロックの中だけで変更されており、ブロック間をまたいでの変更はされていないことが判明しました。
小倉百人一首の配列(赤数字:順番) | 百人秀歌における配列(青数字:順番) | 注 | |
A | 1天智天皇~4山部赤人 | 1天智天皇~4山部赤人 | (1) |
B | 5猿丸大夫~20元良親王 | 5中納言家持~20元良親王 | (2) |
C | 21素性法師~36清原深養父 | 21源宗于朝臣~36中納言兼輔 | (3) |
D | 37文屋朝康~52藤原道信朝臣 | 37参議等~52恵慶法師 | (4) |
E | 53右大将道綱母~74源俊頼朝臣 | 53一条院皇后宮~76源俊頼朝臣 | (5) |
F | 75藤原基俊~86西行法師 | 77崇徳院~88西行法師 | (6) |
G | 87寂蓮法師~100順徳院 | 89皇嘉門院別当~101入道前太政大臣 | (7) |
【注】 (1) 両歌集の1~4番は全て同じ。(2) 19、20番の2首が同じ番号。(3) 32番1首のみ同じ。(4) 44番のみ同じ。(5) 順番は全て異なるが、百人秀歌には53、73番を追加。(6) 77、84、85番が同じ。(7) 順番は全て異なるが、百人秀歌には90番を追加し小倉百人一首の99、100番を削除。
つまり、これらの7ブロックは両歌集に共通の枠組みであり、定家の撰歌基準を推察する上での重要なヒントを提供してくれるかも、と期待されるのですが、事実、ブロックに分けて調べてみるといくつかの面白い発見がありました。
みなさんはA~Gの各ブロックを見てどのように感じますか?
私には、詳しい説明は後でするとして、これらのブロックがLCAで扱っている製品等の「ライフサイクル」にピッタンコ当てはまるように思えて仕方がないのです。
そしてそれは、この国の政(まつりごと)を掌握し、貴族社会と王朝文化を主導、謳歌してきた「藤原氏」のライフサイクルだと考えています。
具体的には、Aが資源の採掘(歴史の舞台に登場)、Bが材料の製造(主役の座への台頭)、Cは製品の生産(隆盛の基盤を確立)、Dは輸送(摂関政治体制を堅持)、Eが使用(国政の頂点に君臨)、そしてFがリサイクル処理(内紛から凋落へ)、Gが廃棄(表舞台から退場)、といったところでしょうか。
そう、小倉百人一首は、「藤原氏」を評価対象とした絢爛豪華な和歌によるLCAだったのです!
な~んて、大胆な仮説(素人の暴論?)をぶち上げたところで、今回もやっぱり字数が足りなくなりました。詳細は第4回以降のお楽しみ!
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